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コラム

現代文について

ここでは技巧的に得点をアップする方法ではなく、正統派として現代文を読み解くには…、という視点から述べてみたい。当たり前だが、まずは日本語をきちんと読めること。そこには常識力も含まれる。この部分が、容易には得点力を上げられない理由ともなる。どんな環境でどのように生きて(生かされて)きたかということにつながってもくる。雑学に重なる部分もある。
評論文なら、筆者が何を言いたいのかが最重要。ここでも知の常識力が関わってくる。筆者はそこをベースにして持論を展開してくるからだ。
ともかく筆者の主張がどれくらいわかっているのかを確認するには、自分の言葉で表現してみることだ。文章に要約するのが面倒なら、口で言ってみる。誰かに伝える気持ちでやるのがポイントだ。
物語文なら最低限、人の気持ちがわかること、感情移入力も問われる。そうした気持ちが比喩で表現されていることもある。教える側は、生徒に対して、この場面での人の気持ちがわからないのかなと判断する前に、その生徒が、前後の文の意味、比喩をきちんと理解しているのかを確認する必要がある。ただし比喩についてはさまざまな類があり、感性の違いで訴えかけられる強度も異なってくるようなものもある。そうした比喩によって「わかった」という気持ちになることもある。感性と知性の融合だ。ともかく、そのような比喩については改めて別の機会に述べてみたい。
上で述べた知の常識力は分解すると、「教養」+「経験」+αということになろう。それらを養うにはもがくことだ。要領だけに終始するなかれ!

2018年9月15日 記

「大阪桐蔭対金足農業」

夏の高校野球大会の決勝に進んだ両校である。大阪府以外の判官びいき者なら絶対に金足農業を応援したことだろう。何と言っても、スター軍団対吉田輝星投手という鮮明な図式。最近は暑さ対策もあり、3人ほどピッチャーを揃えて継投という形が目立つ中、吉田投手は秋田地方大会から甲子園での決勝進出まですべてひとりで投げ抜いてきただけに、その鮮明さは際だつていた。さらにチームとしても秋田県の公立の農業高校が都会の私立高校に挑む図式が判官びいきを後押しする。
結果はというと大阪桐蔭の圧勝であった。現実は残酷である。
ただ吉田投手が疲れていたにせよ、前評判通り勝ち進み優勝するのはなかなかできることではない。そしてここ数年の大阪桐蔭は本当に強い。なぜか?高校野球に直接関係していない者にも興味が湧くところだ。
まず制度面では、校内でⅠ類Ⅱ類Ⅲ類の区分けがあり、Ⅲ類に体育コースと芸術コースがあり、そこに硬式野球部が組み込まれている。豊富な練習量を支える設備として人工芝グラウンドも有しているようだ。そして素質のある逸材が集まる。だが、そこまでは他の強豪校でも似たり寄ったりのところもあるはずだ。端的に言えば、部活の域を超えているわけだ。その点では東東京大会で決勝に進出した都立小山台高校などは稀有な例、と、ここまで述べてきてY君のことを思い出した。彼は、学習面と運動面に優れていて小山台高校に進学しバドミントン部だった。その彼から決勝戦には母校の応援にいくという連絡があった。そのことを思い出した。話が横道にそれた。
話を戻して、では他の強豪校と何が異なるのか?ともかく強いのだからスポーツエリートが集まりやすい。層も厚くなるだろう。資金力も他より豊富かもしれない。そして確かに指導者は異なる。指導方法も異なるはずだ。
私は思う。チームということ。逸材と指導者との出会い。逸材と逸材との出会い。それらの出会いによる精神面身体面の融合作用。粘着力としか言えないもの。それがチーム力。
強さの源泉。

2018年 8月22日 記

「おもちゃ屋がなくなっていた」

この言葉は30年前に通っていた元生徒の言である。
実は、8月から彼女のお子さん(中3生) が教室に通うことになり、自宅(横浜市) から子どもに付き添ってきて、帰りの時刻までの一時、 恵比寿近辺を歩いていた時の感想である。 駒沢通り沿いにあったということだが、 私はにわかには思い出せなかった。「そんなのあったかな」 という印象であった。あとでよくよく記憶を探ってみたら、 あったように思えてきた。確か、 店の正面にガチャポンを置いていたことも思い出されてきた。 それでも20数年前には、なくなっていたように思う。
なるほど子どもにとっておもちゃ屋さんは印象の強いモノ、 価値のあるお店だ。同じ通りの景色でも、世代、男女差、 環境等によって見る者の心に残る印象、 モノは異なることを改めて思い知らされた次第だ。
私もJRの恵比寿駅から旧教室の辺りを経て、 新教室のある鎗ヶ崎の交差点の辺りまで駒沢通りを歩いてみる。 まず、三井住友銀行向かいの三菱UFJ銀行、飲食店、郵便局、 スタバ、コンビニ、美容院、 最近できた古本以外も扱うブックオフ……そして私の教室だ。

2018年8月13日 記

“さわやかな夏の…”

タイトルの言葉が死語になりそうな猛暑である。 ついつい東京に住んでいると東京= 日本と考えがちなのでそこまで思ってしまう。 さわやかに暑いということは、 北海道に限らず日本のどこかではまだあり得るとは思うが、 そういう想像力さえ奪いかねないこの夏の現象だ。
ちなみに与謝野晶子の歌にこういうのがある。
『夏のかぜ山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり』
この風はさわやかで気持ちよさげだ。熱風ではあるまい。 しかし極端なことをあえて言えば、 さわやかな夏の風を経験したことのない者がこの歌に触れた時、 心地よい風と思えるのだろうか?
気候と密接に結びついてきた日本人の〝抒情″が、 この先も保たれていくのか、 そこに危惧を覚えるのは私だけではあるまい。
2018年8月2日 記

文字式について

中1生が文字式を習い始める頃だ。 文字式の文字のありがたみについては次回記すことにして、 ここでは間違えやすいパターンについて触れてみたい。
いきなり、c/abについて÷の符号を用いて表しなさい、 と言われたら、c÷abと答えるであろう。ところで、ab=a× bだ。よって、c÷abはc÷a×bかというとそうではない。 c÷abの場合は、abはカタマリとして考える。よってc÷ ab=c÷(a×b)であり、c÷ab=c÷a÷bなのである。 またc÷a×b=bc/aとなることも確認しておこう。
2018年7月17日、記

続々、分数で割る

6÷3を等分割りで考えるとは、6を3つに等しく分けることで、 2が答えとなる。改めて復習すると、 包含割りは6の中に3というかたまりが何個あるかという考え方で 、これについては分数で割る場合も比較的考えやすかった。
分数で割る場合、等分割りの考え方だとどうなるのか? 遠山先生の論を少し長くなるが、紹介してみる。 後ほど私なりの考えを述べたいと思っている。すなわち、「 12は何の3倍か、という問が12÷3の等分になるが、 12は何の2/3倍かという問が12÷2/3の等分割りになると 考えてもよかろう。これも包含割りの場合と同じく、 二段に分けて考えてみよう。
まず12は何の2倍か
12÷2=6
6は何の1/3倍か
6×3=18
最初から計算すると
12÷2×3=18
つまり12は18の2/3倍であるということになる。
この計算は包含割りの場合と同じく分子の2で割り、 分母の3をかけている。
つまり÷2/3が×3/2になることは包含割りでも等分割りでも 同じなのである。」と。
ここでは、逆算の考え方を利用しての説明になっている。そこで、 私はできるだけ逆算の手助けを借りないで、÷分数、 を等分割りの観点から考えてみたい。ここから先は、 単位を利用しての説明になる。
すなわち冒頭の6÷3を「 6個が3人分である時に等しく分けると1人分は何個か」 というように意味付けしてみる。すると「6個が2/3人分である 時に等しく分けると1人分は何個か」という問いには6÷2/3と いう式が対応するはずである。あとは、6÷2で
1/3人分の3個を求め、3個×3をすれば1人分の9個になる。 すなわち6÷2×3になっており、6÷2/3=6×3/2が成り 立つ。
6の中に2/3というかたまりが何個あるかという包含割りに比べ ると、等分割りの場合は格段に考えにくい。でも、 これを読んでくださっている方々を何とか納得させられたのでは、 という気にはなった。
2018年6月26日、記

続、分数で割る

遠山啓先生の著作物(「数学入門」(上))の中では、 まず割り算を等分割りと包含割りのふたつに分類し(6÷2= 3とする時、等分割りは6を2等分すると考え、 包含割りは6の中に2がいくつあるかと考える)、 包含割りの方なら分数で割ることは理解しやすいとされる。
すなわち、6÷2/3を考える時、6の中に2/3がいくつあるか と考えて9という答えを得ることはそんなに理解しづらいことでは ないとされる。問題はその9という答えと6×3/2との関連だ( 本の中では例として6÷2/5が取り上げられているが)。
遠山先生ふうに説明をしていくと、「6メートルの針金から2/3 メートルの針金を切りとると何本できるかを考えてみよう」 から始まる。
式で書けばまさしく6÷2/3である。これを計算するのに、 まず2メートルの針金を切りとる、6m÷2m=3で3本できる。 次にその2メートルを3等分すれば2/3メートルの針金ができる が、2メートルの針金が3本あるので3× 3で計9本切りとれることになる。最初から書くと6÷2× 3となり、分子の2で割って分母の3をかけている。 これはどのような分数についても言えること。そこで一般化、「 分数で割るには、分子で割って、分母をかける」言い換えれば「 分数で割るには、分子と分母を入れかえた分数をかければよい」 と。
等分割りの方は、次回。
2018年6月11日、記。

意義

時々生徒から「なぜ~を勉強しなければならないの?」(~ には教科名が入る)といった類の質問を受ける。 教科内容についての質問なら即答できても、 この種の質問には答えにくいものだ。ところが、こうした言は、「 私はその科目が好きではない。」という意味であることが多い。 自分が好きな科目については、その種の「なぜか?」 という疑問は浮かびにくいものだ。
ともかく、いやな教科であろうと、わりと好きな教科であろうと、 改めてその教科を学ぶ意義について考えてみることはムダではない 。受験に必要だからという以外に何かを見つけよう。そして、 もし学校の教科以外で自発的に学びたいものがあれば、 タイミングを逃さず、やってみればいいと私は思う。
最後に、その科目に勉強する意義が見出せない人に一言、「 まずは、かじって味わってみよう!意義を見つけてからではなく。 」
2018年6月7日、記。

定期試験について

渋谷区、目黒区の(に限らず) 公立中に通う生徒は6月に前期中間テストを受けることになる。 そして夏休み明けに前期末テストが行われる。 年4回の大きなテストというわけである。これについては、 私は以前のような年5回の方がいいと思っている。
その理由は、現行の形では、 前期の中間テストの結果が悪くて反省してもそれが生かされるのは 夏休み後ということになり、間が空きすぎるからである。 いわゆるリベンジしようにも遠すぎてその志も忘れられがちになっ てしまうと思うのだ。 先生方の負担が現行の形より増えそうではあるが、1、 2学期に中間期末、 3学期に学年末の年5回の定期テストを願う私である。
2018年6月4日、記

分数で割る、逆数を掛ける

前回の続として「分数で割る」時に、逆数を掛けると「ハイ、 正解」となることについて書いてみたい。
例えば、3÷7分の3、 は3の中に7分の3がいくつあるのかを求める式と解することがで きる。そして3×3分の7にして7という答えを得る。 このように逆数を掛けることで答えが得られることを知らない場合 は、素直に考えれば、3を7分の21として、 7分の1が21個ある。7分の3は7分の1が3個だから21÷ 3で7というように考えるのではないだろうか。
ある教科書では、3にも7分の3にも3分の7を掛けて、 3掛ける3分の7÷1となることから、 割る数の逆数を掛ければ常にその形(割られる数×割る数の逆数÷ 1)に持ち込めることを説いて、分数で割る時は、 その逆数を掛ければ答えが出ますよ、と一般化していく。 すなわち、3÷2、5を30÷ 25にして計算する技法を応用している。
これについては、 今後他の先生方の著述も参照して紹介もしていきたい。
2018年5月31日、記

分数を掛けるということ

例えば、5% の濃度の食塩水200g中の食塩の重さを求める時に、 どうして200×100分の5というように× なのかと生徒からの素朴な疑問が発せられた。
当たり前に思えることについての質問に答えるのは概して難しいも の。ただこれについては、さほどではない。
「分数を掛ける」には、二つの要素が組み込まれている。 この場合には、まず分母の100で割って 1%に当たる2gを求める要素とそれを5倍して5% に当たる10gを求める要素である。 この二つのことをまるで一つのことのように装える分数、 侮るなかれである。
関連事項としての%でのつまずき 、さらには、分数で割る、 についてはまた機会を改めて取り上げてみたい。
2018年5月27日、記

前回のコラムの副産物

前回のコラムの副産物として、負の数の大小のわかりにくさが露呈した。そのわかりにくさとは、数学上はマイナス1000の方がマイナス10000よりも大きい数ということに尽きる。実際の生活現場では、1000円の赤字額よりも10000円の赤字額の方が大きいという表現になるから、その扱いの隔たりが違和感となる。
整理してみれば、数学では方向性を一方向にし、数直線上で右にあればあるほど大きい数。実生活では方向性を二方向にし、原点からの隔たりが大きければ大きいほど大きい数。理屈っぽく言えば、日常生活では数学での絶対値の大小を適用し、黒字とか赤字ということばを添えて、原点から右なのか左なのかの方向性が示されているというわけである。
2018年5月23日、記

マイナス×マイナス= プラスの説明

「方向性」と「時」を用いてのマイナス×マイナス= プラスの説明については以下のようになる。
東への移動を正、現在以後の時を正とする。 まず基準点から分速60mで5分間、西へ行く。5分後の位置(- 60)×5=-300m( すなわち基準点より西へ300mの地点)。
この位置の5分前は(-60)×(-5)=+300( すなわちこの位置より東へ300mの基準点) にいたことが式として示される。2018年5月19日記

マイナス× マイナスがどうしてプラスになるのかと

中1生のJ君から、マイナス+ マイナスはマイナスなのにマイナス× マイナスがどうしてプラスになるのかと質問された。 前々回のコラムの続きにもなるのでそのことについて書いてみる。
ある本には「 マイナスとマイナスをかけるとプラスになるのではなく、 プラスとするのです。」とか「 マイナスとマイナスをかけたものはプラスと約束する。」 と書いてある。
ここでは「そうする」のではなく、「そうなる」 ことは示すことができる。
すなわち-2×3=-6、
-2×2=-4、-2×1=-2-2×0=0、となるから-2× (-1)=2、-2×(-2)=4、-2×(-3)= 6になるのが妥当であると数列を利用して示すことはできる。
「赤と黒」の作家スタンダールは、自叙伝の中で、借金×借金= 財産としていた当時の数学書に疑問を投げかけている。「 マイナスの量をある人の借金と考えた時、 10000フランの借金に500フランの借金をかけ、 それがどうして5百万フランの財産を持つようになるのか…」と。
ところで改めて掛け算を考えてみれば、財産×財産= 財産も変なのである。10000(円)×10000(円) としてみれば、変だと納得できるであろう。 ここまで来ると掛け算そのものが問われることにもなってしまう。
理解を深める時、一般的には、具体から抽象へと向かう。 マイナス×マイナス= プラスはその好適な具体例が得にくいことを歴史が教えてくれてい る。
次回は、苦しいながらも「方向性」と「時」 を用いての具体例からマイナス×マイナス= プラスを納得させようとする論を紹介したい。
2018年5月16日記

塾にあっての名コーチ

K君はテニススクールに通う新高1生である。
サーブ、ストローク、新技術の習得に余念がない。 先日コーチからスライスの打ち方について、「 グッと持ってザッと押し出すんだ」と言われたそうだ。 理解しづらかったという経験に触れ「 感覚を言葉に表すのは難しい」と私に話しました。この言葉、 至言である。まさに「名選手、名コーチにあらず」 を彼の言葉で言い表している。感心しました。
いわゆるコツはその人独自の感覚に根ざしているものが多い。 その感覚を人に教え伝えるのは容易なことではない。 スポーツならやってみせることによって言葉による表現との相互補 完が可能になる。
改めて塾にあっての名コーチとは、と考えてみる。 数学で言うなら、 ある単元で教える引き出しを自分が10持っている時に、 10全部を出すことが求められるわけでもないし、 全部さらけ出すことがいい教え方でもないと私は思う。 その10の中のどれを選択するのかを決定し適用していく、 これがコーチとしての役割。
それを生徒ごとにできるのが名コーチだと思う。 そうありたいと念願する私である。
2018年4月25日記

正負の数の乗除計算

旧塾生からの、入学式の様子が伝えられるこの頃です。そう言えば、かつては入学式と満開の桜はセットだったなぁと感慨に浸る。
さて、本題。負×正=負、については、理解しやすい。すなわち、5ドルの借金を3回したら15ドルの借金になるから(-5)×3=-15
正×負についても交換法則が成り立つことで値は負になることを納得してもらう。どうしても説明がほしい生徒には、時間の概念と逆パターンを適用する。3日前から、1日5ドルの貯金をすると3日後には5×3=15ドルの貯金。これは今。3日前は今より15ドル少ない。3日前は-3日後となるから5×(-3)=-15となると説明する。これで納得につなげてもらいたい。
今日はここまで。
負×負については、別の機会に。
2018年4月9日 記

減法乗除について

正負の数の加法については書いたので、残りの減法乗除について書いてみる。
減法は、正-正は減少でOKのはず。3-5なら3より5小さい数を求める。そうであるなら、正-負は増加かな、という直感(直観)が働く。その通りで、この感覚が最も大切であり、後の計算ミスを減らしてくれることにもなる。式化すると3-(-5)=3+(+5)=3+5=8となる。引かれる数が負の場合も同様に考えられる。-3-5なら-3より5小さい数を求めて-8が答えとなるわけで、-3-(-5)なら-3より5大きい数を求めねばならない。
乗除については次の機会に譲ることになった。
2018年3月23日記

数学事始め

ここでは、新中1生の数学について書いてみる。目新しいのは、何と言っても正負の数の負の数混じりの計算である。ここで計算と書いたのは、いわゆるマイナスの世界については、単独では結構なじみがあるからだ。例えば-5℃というような零下の温度がそうだ。
計算については、算数で3+2-8+6というような計算問題で一瞬引けないと思った経験はないだろうか?
また3-4はマイナス1らしいと思ったことはないだろうか?確かに、正の数- 正の数、は小学生でも何とか求められそうである。ここで、「-正の数」を「+(負の数)」と置き換えるのがミソ。つまり3-4=3+(-4)と
することで数直線上の負の数が計算の中に顔を出す。
-3+(-4)=-7というわけである。教科書ではこれを説明するのに、東に行く方向性を+として、西へ3メートルさらに西へ4メートルで合わせて西へ7メートルというように説明する。大人の実生活に即せば、3ドルの借金と4ドルの借金で合わせて7ドルの借金ということ。
このような計算に慣れるにはトランプを活用すればよい。実生活では黒字がプラスで赤字がマイナスだが、(私の)イメージとしては、ハートとダイヤの赤い札がプラスでスペードとクラブの黒い札がマイナスなのでそれに従って説明する。
最初は裏返しのトランプの山から2枚を取る。ハートの3とスペードの8が出たら-5というように計算する。クラブの2とスペードの6なら-8というように計算するのである。慣れてきたら3枚4枚と枚数を増やしていくとよい。これで加減乗除の「加」は完成である。残りの「減乗除」については、別の機会に書くことにする。
2018年3月7日記

現小6生の英語事始め

まず君には耳がある。よって英語を聴こう。 そして君には口がある。よって英語を話そう。 また君には目がある。よって英語を読もう。 さらに君には手がある。よって英語を書こう。
できるだけこれらのことを意識して英語に接してほしい。 12歳にもなれば「聴く」「話す」だけでなく「読む」「書く」 にも気持ちが向かうはずだ。ここでは「書く」 場合について記してみたい。それも単語に絞っての話になる。
毎年、 dogをbogと書き間違える生徒がいるという報告例を目にする 。これなどは、dが[ドゥ]、bが[ブ] という音を持つことを知っていれば防げるミスだ。 あるいはdLによる類推でもよい。こうしたミスが目立つ場合は、 ローマ字の基礎知識が不足している場合が多い。 焦らずヘボン式ローマ字をしっかり身につけよう。 ヘボン式ローマ字とは、「チ」をchi(tiではなく)、「シ」 をshi(siではなく)、「フ」をfu(huではなく) と書くタイプのローマ字表記法である。この表記法に従って、 駅名、地名を書くことから始めればよい。 100個くらい書くうちに母音と子音の違いも明らかになってくる ものだ。音との関連抜きに単語を覚えようとするのは、 オールを持たずにボートを漕ぎ出すようなもの。 bedをベッドと読めない人が、 ベッドの綴りはビーイーディーだと覚える場合の煩雑さは容易に想 像できよう。
まずそこから始めて、英単語の発音方法、 読み方が全てローマ字どおりというわけにはいかないことを学んで いけばよい。
2018年2月23日記

感想文について

塾生のTさんから、感想文について質問された。 評論文とか説明文ではなく、 小説系から選んで書くという課題だということである。
小説の感想文は厄介だ、と私は常々思っている。 なぜなら自分が感動した小説をこそ題材にした感想文を書きたくな るのが人の性だが、感動の本質とは何か? それは分析できないことだろう、と私は思うからだ。 よって感想文を書いている間も、 何か違うという気持ちを拭い去ることができない。 つまらないことを書いているな、と思ったりもする。
そうした気持ちに陥るのを避けるためにTさんには、 こう助言した。「ある程度距離を置ける、 客観的になれる作品を選びなさい。」と。
2018年2月14日記

高校入試の英語

大学入試の英語については何度か書く機会があり、書いてもきた。今日は高校入試の英語について書いてみたい。
まずこのコラムを読んでいる公立中の2年生の子がいるなら、明日書店に行って高校入試の英語問題を見てほしい。都立高校でもいいし、どんな私立高校でも構わない。おそらく英文の圧倒的な分量に打ちのめされるであろう。「こんな長文の形で出題されるんだ」と大半の中2年生はショック を受け、中学2年間で触れた英文のなんと少なかったことか、と愕然とするはずである。確かに最近の中学の英語の検定教科書はどれをとってみても、よくできていて工夫もされている。努力もしていると思う。しかし、どの教科書にも共通しているのは、英文の分量が少ないということだ。このことは入試問題を基準にしての物言いではない。準拠ワークにしても英文の書き換え、空所補充が主体で、昔ながらの趣だ。教科書には限界があるということなら、各教科書推薦の副読本があってもよいと思うし、教科書も全て無料配布でなくてもよいと私は思う。一部は負担した方が有り難みも増すというものだ。先輩から後輩へと教科書が受け継がれる形態の国もある。
学校での学習内容と入試問題との開きに塾が入り込む余地があるんじゃない。よかったね。」と言われそうだが、素直には喜べない私がいるのも確かだ。
2018年2月9日記

算数と数学のために

中学受験もほぼ終了というこの時期に算数と数学について書いてみたい。
算数の問題を解く場合、方程式を身につけた者にとっては苦しい場合が結構ある。算数流の解法は武器が乏しいからだ。その分だけ工夫が必要になる。ツルカメ算、ニュートン算などが好例だ。
そうした算数流の解法は、パズルのように知的な遊びとして大人になってから楽しむことができるのも確かだが、それは制限時間に追われていないことが前提だ。中学受験生には時間制限がある。だから「算数は楽しい。おもしろいじゃないか。」という大人の発言は反発を食らうことも多い。本来おもしろいものということを私は否定はしない。ただ、後々の数学への流れを考えると、もう少しスムーズに移行できないものかといつも考えさせられる。算数の問題の中には、袋小路に迷い込んでしまうようなモノも散見される。そして、そうした問題は文章の日本語をしっかり読んで式にし、その式を解く技術(武器)があれば比較的容易に解けるモノも結構見受けられるのも確かだ。
移行の一例として、食塩水の濃度が関係する問題で、未知数xを用いないで答えが出てしまい、えーと、xを用いて改めて式を作ると、ああ、こうなるのかと。私は、この流れの方向を逆にしたいと考える。ああ、xを用いないで解くのはこうやるのか、と。
中学で算数流で解かせないのは、大きな主流が数学流の方だからだろう。
算数を追求していくと本流から支流へとどんどん突き進むことになり、中学生になってからはそこを逆に支流の源の本流にまで遡らされるのは、おおかたの中学受験生の算数に費やした時間への冒とくでもあるように思うのだ。
今日はここまで。
2018年2月4日記

 舞姫

この、教科書でおなじみの「舞姫」という作品が好きか嫌いかは別にして(ある国語の先生は、「エリスが可哀相だから自分の授業では扱わないんだ」とおっしゃっていました)、古典文法に役立てるという視点で見てみる。       冒頭、石炭をば早や積み果てつ。完了の助動詞「つ」。次、中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。たいそうの意の「いと」。形容動詞の「徒なり」。最初の二文でこの調子なのでどんなに役立つかが想像できよう。                                         、さて本題、別の視点から。古文の授業は、木を見て森を見ず、というよりもむしろ、枝を見て木を見ず、の形態が多すぎるように思える。少し文法に偏りすぎて、作品の味わいがおろそかにされているというのが私の印象だ。例えば「なむ」の識別というのがあって、完了の助動詞+推量の助動詞なのかナ変動詞+推量の助動詞なのか係助詞なのか願望の終助詞なのか、「なり」の識別というのもあって、伝聞推定の助動詞なのか断定の助動詞なのか形容動詞の活用語尾なのか動詞の連用形なのかと、大事は大事だが、こんなことばかりで授業が終始していたらたいていの生徒にとっては苦痛であるにちがいない。私は原文と現代文が対訳の形になっているモノをもっと活用して中身を味わえるようにすべきだと常々思っている。そうしてみて、原文を声に出して読んでみると現代語訳にはないその作品特有の文体も味わえるものだ。さらにこの部分をこう訳しているのかということがわかってくると、だんだん文法面の理解にも深まりが増してくると確信している。この段階なら、上記の識別法も生きてくる。このやり方、生徒に楽させ過ぎですか?              2018年1月29日記

 

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