個別・個人指導の恵比寿のスピリッツゼミ森

コラム

現小6生の英語事始め

まず君には耳がある。よって英語を聴こう。 そして君には口がある。よって英語を話そう。 また君には目がある。よって英語を読もう。 さらに君には手がある。よって英語を書こう。
できるだけこれらのことを意識して英語に接してほしい。 12歳にもなれば「聴く」「話す」だけでなく「読む」「書く」 にも気持ちが向かうはずだ。ここでは「書く」 場合について記してみたい。それも単語に絞っての話になる。
毎年、 dogをbogと書き間違える生徒がいるという報告例を目にする 。これなどは、dが[ドゥ]、bが[ブ] という音を持つことを知っていれば防げるミスだ。 あるいはdLによる類推でもよい。こうしたミスが目立つ場合は、 ローマ字の基礎知識が不足している場合が多い。 焦らずヘボン式ローマ字をしっかり身につけよう。 ヘボン式ローマ字とは、「チ」をchi(tiではなく)、「シ」 をshi(siではなく)、「フ」をfu(huではなく) と書くタイプのローマ字表記法である。この表記法に従って、 駅名、地名を書くことから始めればよい。 100個くらい書くうちに母音と子音の違いも明らかになってくる ものだ。音との関連抜きに単語を覚えようとするのは、 オールを持たずにボートを漕ぎ出すようなもの。 bedをベッドと読めない人が、 ベッドの綴りはビーイーディーだと覚える場合の煩雑さは容易に想 像できよう。
まずそこから始めて、英単語の発音方法、 読み方が全てローマ字どおりというわけにはいかないことを学んで いけばよい。
2018年2月23日記

感想文について

塾生のTさんから、感想文について質問された。 評論文とか説明文ではなく、 小説系から選んで書くという課題だということである。
小説の感想文は厄介だ、と私は常々思っている。 なぜなら自分が感動した小説をこそ題材にした感想文を書きたくな るのが人の性だが、感動の本質とは何か? それは分析できないことだろう、と私は思うからだ。 よって感想文を書いている間も、 何か違うという気持ちを拭い去ることができない。 つまらないことを書いているな、と思ったりもする。
そうした気持ちに陥るのを避けるためにTさんには、 こう助言した。「ある程度距離を置ける、 客観的になれる作品を選びなさい。」と。
2018年2月14日記

高校入試の英語

大学入試の英語については何度か書く機会があり、書いてもきた。今日は高校入試の英語について書いてみたい。
まずこのコラムを読んでいる公立中の2年生の子がいるなら、明日書店に行って高校入試の英語問題を見てほしい。都立高校でもいいし、どんな私立高校でも構わない。おそらく英文の圧倒的な分量に打ちのめされるであろう。「こんな長文の形で出題されるんだ」と大半の中2年生はショック を受け、中学2年間で触れた英文のなんと少なかったことか、と愕然とするはずである。確かに最近の中学の英語の検定教科書はどれをとってみても、よくできていて工夫もされている。努力もしていると思う。しかし、どの教科書にも共通しているのは、英文の分量が少ないということだ。このことは入試問題を基準にしての物言いではない。準拠ワークにしても英文の書き換え、空所補充が主体で、昔ながらの趣だ。教科書には限界があるということなら、各教科書推薦の副読本があってもよいと思うし、教科書も全て無料配布でなくてもよいと私は思う。一部は負担した方が有り難みも増すというものだ。先輩から後輩へと教科書が受け継がれる形態の国もある。
学校での学習内容と入試問題との開きに塾が入り込む余地があるんじゃない。よかったね。」と言われそうだが、素直には喜べない私がいるのも確かだ。
2018年2月9日記

算数と数学のために

中学受験もほぼ終了というこの時期に算数と数学について書いてみたい。
算数の問題を解く場合、方程式を身につけた者にとっては苦しい場合が結構ある。算数流の解法は武器が乏しいからだ。その分だけ工夫が必要になる。ツルカメ算、ニュートン算などが好例だ。
そうした算数流の解法は、パズルのように知的な遊びとして大人になってから楽しむことができるのも確かだが、それは制限時間に追われていないことが前提だ。中学受験生には時間制限がある。だから「算数は楽しい。おもしろいじゃないか。」という大人の発言は反発を食らうことも多い。本来おもしろいものということを私は否定はしない。ただ、後々の数学への流れを考えると、もう少しスムーズに移行できないものかといつも考えさせられる。算数の問題の中には、袋小路に迷い込んでしまうようなモノも散見される。そして、そうした問題は文章の日本語をしっかり読んで式にし、その式を解く技術(武器)があれば比較的容易に解けるモノも結構見受けられるのも確かだ。
移行の一例として、食塩水の濃度が関係する問題で、未知数xを用いないで答えが出てしまい、えーと、xを用いて改めて式を作ると、ああ、こうなるのかと。私は、この流れの方向を逆にしたいと考える。ああ、xを用いないで解くのはこうやるのか、と。
中学で算数流で解かせないのは、大きな主流が数学流の方だからだろう。
算数を追求していくと本流から支流へとどんどん突き進むことになり、中学生になってからはそこを逆に支流の源の本流にまで遡らされるのは、おおかたの中学受験生の算数に費やした時間への冒とくでもあるように思うのだ。
今日はここまで。
2018年2月4日記

 舞姫

この、教科書でおなじみの「舞姫」という作品が好きか嫌いかは別にして(ある国語の先生は、「エリスが可哀相だから自分の授業では扱わないんだ」とおっしゃっていました)、古典文法に役立てるという視点で見てみる。       冒頭、石炭をば早や積み果てつ。完了の助動詞「つ」。次、中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。たいそうの意の「いと」。形容動詞の「徒なり」。最初の二文でこの調子なのでどんなに役立つかが想像できよう。                                         、さて本題、別の視点から。古文の授業は、木を見て森を見ず、というよりもむしろ、枝を見て木を見ず、の形態が多すぎるように思える。少し文法に偏りすぎて、作品の味わいがおろそかにされているというのが私の印象だ。例えば「なむ」の識別というのがあって、完了の助動詞+推量の助動詞なのかナ変動詞+推量の助動詞なのか係助詞なのか願望の終助詞なのか、「なり」の識別というのもあって、伝聞推定の助動詞なのか断定の助動詞なのか形容動詞の活用語尾なのか動詞の連用形なのかと、大事は大事だが、こんなことばかりで授業が終始していたらたいていの生徒にとっては苦痛であるにちがいない。私は原文と現代文が対訳の形になっているモノをもっと活用して中身を味わえるようにすべきだと常々思っている。そうしてみて、原文を声に出して読んでみると現代語訳にはないその作品特有の文体も味わえるものだ。さらにこの部分をこう訳しているのかということがわかってくると、だんだん文法面の理解にも深まりが増してくると確信している。この段階なら、上記の識別法も生きてくる。このやり方、生徒に楽させ過ぎですか?              2018年1月29日記

 

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